お世話になっている人に対して、お世話になっていること以上にものすごく不満が出てきた。
過去に言われて咄嗟に言い返せなかったことが溢れんばかりに出てきて、悔しくて腹が立って、怒りの感情が止まらなくなった。
これからもお世話になるからと言い聞かせて、その怒りの感情を抑え込まなければいけないことが悔しかった。
ヒーリングの先生を紹介しておいて、私がヒーリングの先生に何回もお世話になっていることを伝えると、他に紹介した人は1回しか行っていないとか、あの人はろくな人じゃないとか。
なぜ紹介したのかと改めて聞いたら、紹介してと言われたからって。
紹介しておいて、その言い草はないだろう!!!あんたの影響大きいねんから、安易に紹介するなよ!!!自分が本当に良いと思ってから紹介しろよ!!!と未だに思い出すと未消化の感情が出てくる。
メールでいつでも相談してくれていいよと言われて、実際にメールで相談したら、突き放されたような内容でもう二度と気軽に相談できないと絶望的な気持ちになった。
それなのに、その後報告もないし、お礼の一つもないと怒られた。
突き放しておいて、その言い草はないだろう!!!と未だに思い出すと未消化の感情が出てくる。
いつもその時その瞬間に咄嗟に言い返せない自分が悔しい。
直近では2回ほど、人が真剣に話をしている途中で、全く関係のない話をぶっこんできた。
後から聞いてくれると言うけれども、その時その瞬間話すことでエネルギーをまっすぐすんなり出し切りたいのに、遮られることで曲げられるからイライラが募る。
しかも全く関係のない話をぶっこんでくるから達が悪くて腹が立つ。
全く関係のない話が終わった後は、また初めから何を話そうとしていたかを思い出すのに時間がかかり、私自身もその時間にイライラしてしまった。
全く関係のない話は全くどうでもよかったし、面白くなかった。
その話を聞かないといけなかった間、面白くなさすぎてイライラしてしまった。
話を遮られて、また初めから話すのに思い出すのに時間がかかり、何で無駄な話を聞かされた上に、こんなに回り道をさせられないといけないのだろうか?
そのことに対して悪びれた様子もなく、まるで私がなかなか話せないようなことが悪いとでも言わんばかりにこちらのせいにされたように感じてしまって、何でこんな思いをしないといけないんだろうとまたイライラしてしまった。
ようやく思い出して、後から話をしたけれども、話しきった感がせずにもやもやした感じがずっと残った。
その後も話を聞いてもらっているような態度が全然感じられなかった。
目の前にあるものでガチャガチャ遊んだり、席を立って何か作業をしながら本当に話を聞いてもらっているのかわからない態度を取られて、話しているこちらも相手がイライラしているような気を感じて落ち着かない。
口下手で言いたいことが自分の中ではっきりまとまっていない時は、自分でも上手く話をまとめることができなくて悔しくなる。
それでもやっぱり何か自分の中に溜まっているものを出し切りたいから、めげずに話す自分になっていたことに気づいた。
以前の私だったら、
どうせ話を聞いても分かってもらえない
話をまともに聞いてもらえない
と話すことさえも諦めていたように思うから、ずいぶんと成長させてもらった。
とはいうものの、やっぱり普段引きこもりで話を聞いてくれる人がいないから、唯一安心して話ができる心の居場所だから、話を聞いてほしい気持ち、すっきりしたいという思いが強くなってしまう。
けれども、いつも時間が足りなくて全部話し切った感がないまま、話を聞いてもらえた感がないまま終わってしまう。
お世話になっている人に大サービスで長時間とってもらっているけれども、やっぱり話を向き合って聞いてもらえた感がしないと腹が立つ。
イライラが溜まって大噴火してきたからなのか、腹の立ち方が尋常じゃなかった。
なんでこんなにものすごく腹が立つのだろう。
自分で自分を何日もかけて考察しているうちに、ようやくその根本原因が見つかったような気がする。
ふと、
私に注目してほしい、注目されたい
という願望がいつもあって、実際に行動に出たことを思い出した。
人前に出るのが苦手なはずだけど、歌うことが好きで、人前で歌いたい願望があって、お金を払ってバンドを組んでくれるというイベントに申し込んで ライブ出演したこともある。
口下手で人前で話すのは苦手なはずなのに、安心できると思えた空間で自己紹介を話し出すとペラペラ喋っていて、気がつけば5分以上経っていた。
注目されるのが苦手なはずなのに、スイッチが入ると気持ちよくなり、自分を出し切った感があって、楽しかった。
私に注目してほしい、注目されたい願望があったことに気づいた後、最終的には
私に関心を持ってほしい
という願望が出てきた。
そして、私が一番関心を持って欲しかった相手は父と母だったということに気づいた。
幼い頃からずっと父にも母にも関心を持ってもらえているような気がしなかった。
人に対して、
話を聞いてもらえているかどうか
ということに異常なまでにこだわりがあったのは、父にも母にもゆっくりと話を聞いてもらえなかったことが根本的な原因だったのかもしれないと思えた。