南インド行きを断念した理由

集団行動にものすごく不安があることが分かったので、お稽古の師匠が引率してくださる予定だった南インド行きを断念しました。

 

のんびり屋で行動が遅くて作品を作るのもものすごく時間がかかるので、グループレッスンを受けるのでさえ躊躇していたことを後になって気づくなんて…。

 

なぜ安易に参加を申し込んでしまったのだろう。

 

いきなり他のレッスン生の方と作品の勉強ではない旅行、しかも海外旅行に9日間も共にしなければならない状態なのに、なぜか申し込む時には何とか行けると思ってしまった。

 

申し込んでしまった後に旅行をしている自分をイメージしてみると…。

 

お寺もじっくり見て回りたいけれども、きっと私のじっくりは普通の人よりもものすごく時間がかかり、他の人を待たせることになるかもしれない。

 

食事は1日1食でいいし、好き嫌いが多いし、食べるのに時間がかかるし、人と一緒に食事をすると落ち着かないから、ホテルの朝食バイキングにできるだけ1人で早く行って早く食べなければならないのだろうか?

 

他の人は皆で一緒に食事を共にしたりする中で仲が深まって行く一方で、私だけどんどん孤立していきそう。

 

学生時代、合わないグループに無理やり入るしかなくて、苦しくてしんどくなったことを思い出す。

 

特に親しくない顔見知りになった人とどう接していいのかわからないし、何よりも他の人の目が怖い。

 

かつて仕事をしていた時、自席以外の場所…トイレなどで職場の人と一緒になった時、何を話していいのかわからないいけど話さないといけないのだろうか、会釈をしないといけないのだろうかと変に気を遣う状態がしんどくて苦しかったことを思い出す。

 

学生時代の集団行動や今は疎遠となった学生時代の友達との旅行…準備に時間がかかるので常に焦っていたことを思い出し、しんどくて苦しくなった。

 

できるだけ他の人と過ごす時間を避けるにはどうすれば良いのかばかり考えていました。

 

他の人は楽しみにしている中、私だけ苦行だと思いながら行く旅行…エネルギーが合わない。

 

今回の旅行で喜びや楽しみをご一緒する皆さんと分かちあえない状態で、無理やり行くのは反って皆さんにご迷惑をかけるということも分かりました。 

 

アガスティアの父親の章でいつか南インドへ行った方がいいと書かれていたこともあり、行かなければならないと無理やり自分を奮い立たせていた部分もあるかもしれません。

 

苦手な集団行動をしてまで、無理やり行かなくていいんだと思うと、ものすごくほっとした自分がいました。

 

一人で行けるのならばいつか行きたいですが、行けなくてもいいと思えるようになりました。