人に興味がないけれども、人が行動したことに興味がある
人から嫌な思いをするような言動や行動をされた時、なんであんな言い方や行動をするんだろうと根本原因を分析することを自然とやっていたことに気づいた
物事や人の行動心理等、全ての真理や根本を知ることで自分を知ることに繋がるということにしか興味がない
自分を知るということにしか興味がない
人が撮った写真に興味がない
自分が撮った写真にも興味がない
あんなに夢中で写真を撮ったのに、撮った後見返すことがほとんどないということに気づいた
自分が写真を夢中で撮っている時間が楽しい
被写体であるお花に対してどのような角度で取るか、余計なものを入れないようにするか、集中している時間が楽しい
普段何もしていないと、常に物事を分析したり、自己分析したりと頭が空っぽになることがない
何かに集中できる時間が楽しいだけだということに気づいた
あるブログにたどり着いた。
読者にカテゴリーを見やすいように工夫していると書いていた。
今時パソコンでブログを見る人の方が少ないのに、スマホで記事の遥か下の方にしか表示されないそのカテゴリーに労力をかけてどうするのだろう。
そんなことに時間をかけるのだったら、どうやったらもっと自分の記事を人に見てもらえるようになるのか、自己分析したらいいのにと思ってしまった。
こんな風に瞬時に改善点を見つけることを得意としています。
ブログやホームページ等の改善点をズバリ指摘して欲しい方、指摘されたことを素直に受け入れる姿勢を持っている方はご依頼ください。
お世話になっている人に対して、お世話になっていること以上にものすごく不満が出てきた。
過去に言われて咄嗟に言い返せなかったことが溢れんばかりに出てきて、悔しくて腹が立って、怒りの感情が止まらなくなった。
これからもお世話になるからと言い聞かせて、その怒りの感情を抑え込まなければいけないことが悔しかった。
ヒーリングの先生を紹介しておいて、私がヒーリングの先生に何回もお世話になっていることを伝えると、他に紹介した人は1回しか行っていないとか、あの人はろくな人じゃないとか。
なぜ紹介したのかと改めて聞いたら、紹介してと言われたからって。
紹介しておいて、その言い草はないだろう!!!あんたの影響大きいねんから、安易に紹介するなよ!!!自分が本当に良いと思ってから紹介しろよ!!!と未だに思い出すと未消化の感情が出てくる。
メールでいつでも相談してくれていいよと言われて、実際にメールで相談したら、突き放されたような内容でもう二度と気軽に相談できないと絶望的な気持ちになった。
それなのに、その後報告もないし、お礼の一つもないと怒られた。
突き放しておいて、その言い草はないだろう!!!と未だに思い出すと未消化の感情が出てくる。
いつもその時その瞬間に咄嗟に言い返せない自分が悔しい。
直近では2回ほど、人が真剣に話をしている途中で、全く関係のない話をぶっこんできた。
後から聞いてくれると言うけれども、その時その瞬間話すことでエネルギーをまっすぐすんなり出し切りたいのに、遮られることで曲げられるからイライラが募る。
しかも全く関係のない話をぶっこんでくるから達が悪くて腹が立つ。
全く関係のない話が終わった後は、また初めから何を話そうとしていたかを思い出すのに時間がかかり、私自身もその時間にイライラしてしまった。
全く関係のない話は全くどうでもよかったし、面白くなかった。
その話を聞かないといけなかった間、面白くなさすぎてイライラしてしまった。
話を遮られて、また初めから話すのに思い出すのに時間がかかり、何で無駄な話を聞かされた上に、こんなに回り道をさせられないといけないのだろうか?
そのことに対して悪びれた様子もなく、まるで私がなかなか話せないようなことが悪いとでも言わんばかりにこちらのせいにされたように感じてしまって、何でこんな思いをしないといけないんだろうとまたイライラしてしまった。
ようやく思い出して、後から話をしたけれども、話しきった感がせずにもやもやした感じがずっと残った。
その後も話を聞いてもらっているような態度が全然感じられなかった。
目の前にあるものでガチャガチャ遊んだり、席を立って何か作業をしながら本当に話を聞いてもらっているのかわからない態度を取られて、話しているこちらも相手がイライラしているような気を感じて落ち着かない。
口下手で言いたいことが自分の中ではっきりまとまっていない時は、自分でも上手く話をまとめることができなくて悔しくなる。
それでもやっぱり何か自分の中に溜まっているものを出し切りたいから、めげずに話す自分になっていたことに気づいた。
以前の私だったら、
どうせ話を聞いても分かってもらえない
話をまともに聞いてもらえない
と話すことさえも諦めていたように思うから、ずいぶんと成長させてもらった。
とはいうものの、やっぱり普段引きこもりで話を聞いてくれる人がいないから、唯一安心して話ができる心の居場所だから、話を聞いてほしい気持ち、すっきりしたいという思いが強くなってしまう。
けれども、いつも時間が足りなくて全部話し切った感がないまま、話を聞いてもらえた感がないまま終わってしまう。
お世話になっている人に大サービスで長時間とってもらっているけれども、やっぱり話を向き合って聞いてもらえた感がしないと腹が立つ。
イライラが溜まって大噴火してきたからなのか、腹の立ち方が尋常じゃなかった。
なんでこんなにものすごく腹が立つのだろう。
自分で自分を何日もかけて考察しているうちに、ようやくその根本原因が見つかったような気がする。
ふと、
私に注目してほしい、注目されたい
という願望がいつもあって、実際に行動に出たことを思い出した。
人前に出るのが苦手なはずだけど、歌うことが好きで、人前で歌いたい願望があって、お金を払ってバンドを組んでくれるというイベントに申し込んで ライブ出演したこともある。
口下手で人前で話すのは苦手なはずなのに、安心できると思えた空間で自己紹介を話し出すとペラペラ喋っていて、気がつけば5分以上経っていた。
注目されるのが苦手なはずなのに、スイッチが入ると気持ちよくなり、自分を出し切った感があって、楽しかった。
私に注目してほしい、注目されたい願望があったことに気づいた後、最終的には
私に関心を持ってほしい
という願望が出てきた。
そして、私が一番関心を持って欲しかった相手は父と母だったということに気づいた。
幼い頃からずっと父にも母にも関心を持ってもらえているような気がしなかった。
人に対して、
話を聞いてもらえているかどうか
ということに異常なまでにこだわりがあったのは、父にも母にもゆっくりと話を聞いてもらえなかったことが根本的な原因だったのかもしれないと思えた。
あなたは自分とゆっくり対話できる時間を取れていますか?
あなたは家族やパートナーとゆっくり対話する時間を取れていますか?
自分を犠牲して家族やパートナーのためにお金を稼ぐ。
挙句の果てには自分だけでなく、家族やパートナーを犠牲にしてまで会社のためにお金を稼ぐ。
他人にとって「都合の」いい人のあなたは、自分にとって、家族やパートナーにとっていい人なのでしょうか?
私の父は会社のために自分や家族を犠牲にして大病になり、会社から病院へ搬送されましたが、最初の病院では手の施しようがなく、手術ができる執刀医がいる病院へ搬送されました。
手術中に亡くなってしまうかもしれないぐらい、イチかバチかの状態でした。
手術自体は成功したのですが、後遺症で左半身麻痺や言語障害となり、仕事を止むを得ずリタイアした父とゆっくり過ごせる5年間だったはずなのに、結局、父の思いや考えを聞くこともできないまま、父とは永遠のお別れになりました。
元々カッとなりやすい性格なのに、長年いい人として、理性で自分の感情を抑え込んでいたため、父の中で溜まりに溜まっていた、怒りを始めとした様々な感情が病気がきっかけとなって、大噴出したのだと思います。
ちょっとしたことで興奮状態になり、ひどい時は手のつけようがないぐらいになりました。
父が亡くなった後、大学の同級生の方が父の自己紹介文をメールで送ってくださり、その時に初めて父が茶道部に入った理由は精神世界に魅かれたからだということを知りました。
本来の父はガツガツと働くような人ではなかったはずなのに、当時の社会環境がお金のため、会社のためだったら自分を犠牲にしても厭わないような風潮だったから、そのようになってしまったのかも知れません。
他人のことを優先しすぎて自分や家族と対話する時間を犠牲にし、自分の体までも蝕んでしまった父の人生は精神的に豊かだったと言えるのでしょうか?
他人のためにいい人になるのはやめませんか?
人付き合いが苦手で友達がいないので、あらゆるセミナーや習い事に行ったけれども、やっぱり友達や仲間ができなかった
だからインターネットで集客するしかないと思ってしまった
ビジネスセミナーや他の集客ブログのやり方の記事を参考に、集客するためのブログを書いているうちにエネルギー切れしてしまった
文章を読む人に分かりやすいようにと、細かく書いていると自然と長文になってしまい、文章を添削する作業に長時間かかってしまう
自己主張が苦手なのに、自分をアピールするような記事を書かなければいけない
人や物事の欠点を見つける方が得意なのに、いかにお客さんに自分自身を気に入ってもらえるか、商品を良いように見せるかというイメージ戦略をしなければいけない
自分の内面を見つめて、精神的に向上する過程を伝えたかったから、自分の悩みや苦しみを内面を見つめて昇華したという記事を書いていたけれども、一般的にはそれはイタイ人間が書いた記事だとみなされる
ブログで集客することが自分に合わないということに気づいていなかった
自分に合った集客方法…リアルでたった一人だけ自分に合う人を見つけて、その人から広げてもらえばいいとやっと気づくことができた
さらに「インターネットで集客する方法は自分に向いていない」と調香師の師匠から言われて改めて納得した
マイペースで自分が書きたいと思った時に、自分が楽しいと思った内容を自己表現の場としてブログにアップしていけば良いんだと気づいた
そう思ったら力が抜けて、逆にブログを書きたい気持ちが戻ってきた
めでたしめでたし(笑)
たった一人だけを見つける
たった一人リアルで広げてくれる人を見つける
私の場合は美容師さん
お店の空間と全ての工程で自分の感覚と合うかどうかわかるから
美容室は苦手だけれども、髪が伸びたら自分で切ることはできないから行かざるを得ない
人付き合いが苦手で雑談が苦手だけれども、リアルでマンツーマンで話さざるを得ない
予約する前からすでに自分に合うかどうかを選別している
人混みが苦手で他人の話し声や周りの音など感覚に敏感なので、マンツーマンのお店ではない時点で終了
お店の写真の雰囲気やヘアスタイル、お店の紹介の文章が合わないと思った時点で終了
美容師さんの写真を見て、合わないと思った時点で終了
それを乗り越えて、いよいよ美容室に実際に行ってさらに選別する
美容室に入った瞬間、冷め切った空気を感じて、緊張して合わないと思った時点で終了
美容師さんと話す時に緊張し、饒舌に話せないと思った時点で終了
シャンプーの力加減が強すぎて苦痛だと思った時点で終了
美容師さんと話していく中で自分と合うかどうかを確認していく
初回はお互いの自己紹介のような感じなので、盛り上がったとしても、2回目以降何を話せばいいんだろうとわからなくなった時点で、グレーゾーンに入っていく
そんな感じで、この記事を書いた2024年11月時点では美容室ジプシーを未だに繰り返している
それを乗り越えて出会えた、たった一人の美容師さんにこのブログを見てもらい、私のありのままの姿、思考をさらけ出しても理解してくれるような人であれば、面白がってくれるような人であれば、きっと他の人に紹介してくれると思うから
その紹介された人にこのブログを見てもらい、私のありのままの姿、思考をさらけ出しても理解してくれるような人であれば、面白がってくれるような人であれば、きっと他の人に紹介してくれると思うから